75才の結婚詐欺師

1 預  金

「70万円が引き下ろされてるのよ。どうなってるの」
堀川ハナは大声で叫んだ。
銀行の若い行員は半ば困惑したように「そうは言ってもお客さんの通帳ですからお客さんがご存知なければ、当行としましてもなんとも申せませんが」
「そんな無責任な話はないでしょ。現になくなってるんだから」


同じような押し問答が暫く続いてから、奥から職員の上司が出て来た「こちらでお話をお受け賜ります」と言い、ハナを案内した。
事務室の片隅に申し訳程度に作られた一角にハナは案内された。
「兎も角、私の通帳から70万円がなくなってるのよ」
「私は下ろした覚えが全くないんだから、どうなってるのか説明して頂戴」立て続けにハナは叫んだ。
「先ほども申し上げたとおり、当行の預かり知らないことですから」
「責任を逃れるつもりなのね」
「責任と言われましても」
「貴方は間違いなく下ろしてないのですか」と上司が口をはさんだ。
「間違いないわよ」
「通帳は誰が持ってるのですか」
「私よ」
「判子は」
「それも私よ」
「キャッシュカードは」
「私」と言おうとしたがハナは、言い止まった。
私は持ってないのだ。夫の作治にこの前預けたのだ。
「夫よ」とハナは言った。
「それじゃ旦那さんが下ろしたのじゃないんですか」
若い職員はさっきまでとは変わって勝ち誇ったように言った。
「そんなはずないわよ。夫が私に黙って下ろすはずがありません。第一、夫は不動建設の社長なんですよ。不動建設ご存知でしょ。残念ながらこちらの銀行には夫は預金してないですけど、北進銀行には3億の預金を持ってるんだから、こんな70万円を私に黙って下ろすはずないじゃないですか」
「それは旦那さんに確認しましたか」
「してないわよ」
「それでは、確認してからお出でいただけませんか」
「私の言うことが信じられないとでも言うの」
「そうではありませんが」
「良いわよ、そんなに言うなら今電話で聞くから」


ハナはバックから携帯電話を取り出した。作治が「仕事の関係で電話が入るからお前は外出するときは必ず携帯を持って出てくれ」と言ったので持つようになった電話である。ベルが7回程鳴って、作治はようやく出た。
「あ、おとうさん。私。今、銀行にいるの」と言い、ハナは事の顛末を話した。

最後に「おとうさん、知らないでしょ」と聞いた。夫の答えは予想通り「知らない」と言うものだった。
しかし、その後に続いた言葉にハナは耳を疑った。
「兎も角早く帰って来い」と言うのだ。
「おとうさんが知らないことなんだから、今ここで銀行の人と話をつけるからすぐに帰れない」と言っても、「早く帰れ」の一点張りだった。ハナは仕方なく銀行を後にした。


ハナは急いで家に帰った。兎も角、作治が何のために早く帰れと言ったか訳を知りたかった。
作治は心配そうに家で待っていた。
「何で、早く帰れって言ったの」開口一番聞いた。
「お前、知らないのか、銀行の人にそんなこと言ったら、戻るものも戻らなくなるじゃないか。良いか、良く聞け。お前も俺も下ろした覚えが全くないんだから下ろしたやつは決まってるだろ。銀行のやつさ。コンピューターを操って下ろしたんだ。以前良くあっただろう。客の金を横領した話。それを、正面から、横領したでしょって聞いて、はい、しましたって答えるやつ何処にいる。白を切られるのは当たり前じゃないか。聞けば聞くほどずらされるだけさ」

「それじゃどうすれば良いの」
作治は考え込んだ。
暫くの沈黙の後に「良助に聞こう」と作治は言った。
「誰だったっけ」
「北進銀行の営業部長の田中さ。俺が世話して銀行に入れたやつさ。前に電話があっただろう。今じゃすっかり偉くなっては寄り付かなくなったけど、前は、いっつも俺が面倒見てたやつさ」

ハナはそういえばそんな人から電話があったことがあるのを思い出した。
しかし、ハナは良助とは会ったことがなかった。それものも当たり前だった。作治とは去年一緒になったばかりだったのだ。 作治は受話器を無造作に取りダイヤルを押した。
「田中さんいますか」と聞いて暫く間を置き「おう、良助か、俺だ、堀川だ。ちょっと教えてくれ。銀行員が、うちのやつの金を勝手に下ろしたみたいなんだ。もちろん否定してるけど、どうすれば良いんだ。」と話し始めた。
「うん、そうか、そうだろうな。俺もそう思うんだ。やっぱりな。騒いだらマヅイな」
暫く、やり取りが続いた。ハナには相手の声は聞こえないけど、作治の相槌で大体何を言ってるのか知ることができた。
電話が終わると、作治は言った。
「良助は、やっぱり黙ってれって言ってぞた。つまり、正面から銀行の誰に言っても白を切られるのが当たり前だから何も解決にならないって。」
「警察に訴えれば」
「ばかやろう、警察に行っても銀行のやつが認めると思うか。証拠はあるのか。」
「それじゃどうするの」
「だからだ。このまま黙ってるのさ」
「黙ってれば戻らないでしょ」
「だからお前はバカなんだ。いいか、良助が言うにはだな、良助はやったことないけど結構銀行では客の金を一時的に借りるやつがいるらしいんだ。銀行員だから法に触れる悪いことはしないもので、あくまでも借りるのが殆どなんだけど。ギャンブルなんかで一時的に必要な金をちょっとの間だけ借りて、すぐに戻すらしいんだ。それを、騒いだらどうなると思う。はい、私がやりましたって言ったら、そのまま銀行はクビ、そのうえワッパものさ」作治は大袈裟に両手を前に突き出し、手錠をかけられた格好をした。
「だから、絶対に認めないさ。それから、金を戻したらどうなると思う。戻すときに、どこから振り込まれたか記入されるから、自分がやりましたって認めることになるじゃないか。だから、このまま黙って事を大袈裟にしないで置くと、大袈裟になってない分戻しやすいって言うんだ」作治は大声で話した。

銀行員の横領の話は聞いたことがあった。そんなものかなとハナは思った。ハナとしては、70万円は元の夫が3年前に亡くなった時入った700万円の生命保険の一部なので絶対に戻してもらわなければならないと思っていた。

だから尚更のこと、夫に「騒いだら戻らないと」言われたら騒ぐことはできなかった。